方言どんな聞こえ方するのか問題
こんにちは!
営業の渡邊です。
今回は私が大学時代に経験した恥ずかしい方言の失敗について書いていきます。
まず前提として私は方言が恥ずかしいと思ってなかったですし、それは現在も変わっておりません。
他の人と違うことで若干の違和感や指摘をされることももちろんありますが、話のタネが増えるのでありがたい限りです。
方言はイメージとしては時計や靴、ネックレスなどのちょっとしたアクセントになるものだと思っています。
皆さんもツッコみをいれるときに関西弁になったりだとか、ちょっとやんちゃなことしようと思ったら語尾に「だべ」ってつけてみたり。
そんな感じに自分の出身だったり、育ちだったりを表現してくれる素敵なものだと思っています。
さて、ではなぜそんな方言で恥ずかしい経験をしてしまったのか、話は私の大学時代まで遡ります。
当時は静岡県で育った私は当然普段の話し言葉も方言です。
もちろん無意識に方言を話してはいましたが、東京の大学に通うことになった私は
この言葉が方言なんだというのは一通り調べてましたし、多少のイントネーションの違いがあることも知ってました。
ではどの言葉で恥ずかしい失敗をしたのかというと「おれっち」という語句です。
静岡県人であれば、「おれっち」=「俺の家、俺たち」を意味することは分かると思います。(ただ静岡県は東西に広いので中部のひとしかもしかしたらわからないかも?)
ただこの方言を知らない人達からみるとどうでしょうか。
実は「おれっち」=「俺」には聞こえます。
例えば「おれっちはさぁ、シチューはご飯にかけて食べるのが普通だったよ」
という例文を踏まえて考えると
静岡県人からすると
「俺の家はシチューはご飯にかけて食べるのが普通だったよ」
と聞こえますが他の人には
「俺はシチューはご飯にかけて食べるのが普通だったよ」
とどちらも意味が通るように聞こえてしまいます。
問題はふたつありました。
この意味が通るように聞こえてしまうという問題
自分が「おれっち」=「俺」と思って使ってないというところです。
私は当時一人称は普通に「俺」だったのが他の人には急に「おれっち」と自分を呼び出したように聞こえたはずです。
人によっては急にひょうきんに「おれっち」と呼び始めた男にみえ、人によっては急に自分を解放して呼び始めたように聞こえたはずです。
自分も「いや、今のは自分のことを『おれっち』と呼んだわけではなくて……、俺たちとか、俺の家とかを意味してて……」
なんて焦って言い訳をするものですから、顔も真っ赤に上気するわで……。
というわけで私が皆様にお伝えしたいのは
「自分の言葉に誇りを持つのは良いけれど、知らない人が聞くと違う意味に聞こえるよ」
っていう話です。
一人称が「おれっち」なのが恥ずかしいのではなく、別の意味を持たせて言った言葉がその意味を持っていたら恥ずかしい思いをするかもしれないよというお話でした。